
沖縄には各地に戦没者の慰霊碑があります。その場所は国内外からたくさんの人々が訪れますが、時々千羽鶴を手にしている人の姿も見られます。一体どんな人がどんな想いで慰霊碑に千羽鶴を供えているのでしょうか?
どうして慰霊碑に千羽鶴を供えるようになったのか?
千羽鶴というと、病気のお見舞いや祈願成就のために折り鶴を折ったものを糸で綴じて束ねたもののことを言いますよね?そんな千羽鶴には「平和のシンボル」という意味もあります。
千羽鶴が平和のシンボルとなった由来は、広島で被爆し原爆症によって12歳9か月でこの世を去った少女・佐々木貞子さんにあるといいます。
彼女は小学6年生の時に原爆症であることがわかり、広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院します。入院中の彼女のもとに名古屋の高校生から折り鶴がお見舞いとして届きます。これをきっかけに彼女も折り鶴を折るようになります。
彼女は初めから平和のために折り鶴を折っていたわけではありません。「折り紙で鶴を千羽折れば元気になる」と信じていたから折っていました。
そんな彼女がこの世を去ったのは入院から約一年後のことですが、亡くなるまでに彼女が追った折り鶴の数は1000羽とも2000羽ともそれ以上ともいわれています。
彼女の折り鶴の大半は彼女の棺の中に納められたといいますが、そのうちの1羽は2015年に海を渡りトルーマン元大統領の大統領図書館に寄贈されたといいます。
彼女にとって千羽鶴は「早く病気が治りますように」という願いでした。でも今では戦争によって原爆症になった彼女の姿と「生きたい」 と願う想いが重なり、各地の戦没慰霊碑などで平和のシンボルとして手向けられるようになります。
さらに彼女の物語は海外にも紹介され、日本だけでなく世界でも知られるようになります。そのため日本だけの平和のシンボルではなく「千羽鶴=世界平和のシンボル」として広く知られるようになりました。
だから沖縄の戦没者慰霊碑には、日本だけでなく海外からの千羽鶴も供えられているのです。
沖縄の慰霊碑に供えられた千羽鶴にはどんな願いが込められているのか?
恒久平和

原爆症で亡くなった少女の千羽鶴は、時代を経た今「世界平和のシンボル」となっています。その想いを漢字四文字で表すと「恒久平和」。
この4文字にある「恒久」には「永久に変わることがない」という意味があります。つまりこの4文字が表すのは「永久に変わることのない平和」。
「恒久平和」と記された千羽鶴には、戦没犠牲者への慰霊の想いと共に平和な世の中を願う沖縄県民の強い想いが込められているのでしょう。
平和への思いをこめて

ストレートな言葉なだけに、伝わるものがあります。
想いが変わらないことを願って丁寧にラッピングされた千羽鶴は、沖縄の強い日差しを受けて所々色が褪せていました。
ただ時間は過ぎていったとしても、この場所に千羽鶴を置いて行った人の平和への想いはきっと今もこの沖縄の地に残っているのだと思います。
2度と戦争が起きませんように

沖縄から遠く離れた場所にある小学校の子どもたちからの千羽鶴には「2度と戦争が起こりませんように」と書かれていました。
難しい言葉が一切含まれていない短い文章ですが、そこには小さな子供たちの切なる平和への想いを感じます。
戦争を知らない子どもたちであっても、慰霊碑を前に手を合わせた時には自然とそんな気持ちになるのでしょう。
沖縄で行われている平和学習にそのような力があるのであれば、これから先もずっと続いてほしいと願います。
自分たちに何が出来るか考え続けていきたい
時には千羽鶴だけでなくメッセージが書かれたものもあります。
きっと…学校の修学旅行でこの場所を訪れた子供たちからのものなのでしょうが、そこには「自分たちから未来の平和を考えていかなければいけない」というメッセージがありました。
千羽鶴は1000羽の鶴を折ることだけが目的ではありません。
【折り鶴を通して平和を考えること】・・・。これが本当に大切なことです。
未来を生きる子どもたちが、そのことを自分からそのことに気が付くことが何よりもすごいことです。こうして一つひとつの千羽鶴を見てみるだけでも、平和学習が持つ本当の役割を知るヒントになります。