大宜味村旧庁舎

台風の接近数が多い沖縄で主流といえば、やはりコンクリート建造物。そんな沖縄で最も古いコンクリート建造物といわれているのが、大宜味村にある旧庁舎です。今では県指定有形文化財でもある大宜味村旧庁舎とは?

コンクリート製ということで地元住民から大反対されていた

1997年に県指定有形文化財にも指定され、庁舎としての役割を終えた今でも一部資料室として開放されたりドラマのロケ地となるなど、未だに現役を続けている大宜味村旧庁舎。ところが建築に至るまでは、筆舌しがたい数々の困難があったといいます。そのうちの一つが、地元住民からの大反対でした。

当時の沖縄の建造物といえば、木造建築が主流です。もちろんすでにコンクリートを使った建物の技術はありましたが、それは一般家屋としてではなく「墓」の建築においてのものでした。沖縄のお墓は本州のお墓とは異なり、平屋建て家屋のミニチュア版のような形をしています。

中は空洞になっており、かつては墓の中で遺体を収めた棺を安置していました。それだけ本州の墓とは違い内部のスペースを確保する必要がある沖縄では、コンクリート製のお墓が主流だったのでした。

そのため「コンクリート=お墓」というイメージが非常に強く、そのことに地元住民からも大反発が起こります。簡単に言ってしまえば、「なんで生きているうちに死んだ人が入るお墓のような建物に入らなきゃいけないんだ?」ということなのです。

いかに頑丈で台風にも強い建物であったとしても、お墓のイメージが強いコンクリート製の建物は、そう簡単には地元住民に受け入れられる建造物ではなかったのです。

当時最新の建築法が使われた大宜味村旧庁舎

今では鉄筋コンクリート製の建造物は一般的な建築方法となっていますが、当時においてはまだ新しい技術でした。しかも旧大宜味村長者の設計者は、鹿児島からスカウトされてきた清村勉氏。海からの強烈な風をしのぎつつ、近代的で地元住民たちに長く愛される庁舎にするために彼が考え出したのが、前方後円墳のような八角形の平面形状。

この形を実現するために採用したのが、当時最新の建築法である「鉄筋コンクリート」を使った建築方法でした。

2階が村長室だった

外から旧庁舎を見てみると、2階部分に八角形の部屋があることが分かります。実はこの部屋が、かつての村長室でした。八角形の面にはすべて窓が取り付けられており、どの方角からでも村の様子が見えるようになっています。

旧庁舎が現役の村役場として機能していた頃の大宜味村は、追い込み漁が盛んだったため鰹節工場もありました。村民の多くが漁業に携わっていたこともあり、当時の村長は常に海の様子や天気に気を使っていたといいます。その為なのか、村長室の窓からは大宜味村の海が見えます。

維持し続けるのがとても大変な旧庁舎

当時最新といわれたコンクリート製の建築技術と独特な設計によって、今では県外からも視察や見学に訪れる人が後を絶たない大宜味村旧庁舎。実際の役場としての業務はすでに新庁舎に移っているものの、現在も資料室として、貴重な資料や村内で使われていた道具や生活品などの展示・保存のために使われています。

ただしコンクリート製の建造物といえば、「夏は暑く、冬は寒い」のが最大の欠点です。しかも木造建造物とは違い湿気がこもりやすいため、湿度が高い沖縄では非常に管理が難しい建物です。さらに時間が経過するほどコンクリートも劣化するわけですから、自然とひびが入り、そこから雨漏りが起きてしまいます。

とはいえ県指定有形文化財に指定された建物なので、修繕をするにしても必ず県の許可が必要になるのが問題にあります。さらに建物内には釘や画びょう、テープなどを使うこともできないため、修繕だけでなく使い続ける上でもいろいろと工夫が必要なのだとか…。

大変なことが多かったとしても、「先人たちの汗と涙の結晶である建物を失くすわけにはいかない」という想いから、地域住民たちの手で守り続けられている大宜味村旧庁舎。人々の生活を守るために建てられたこの建物は、いつの頃からか住民たちの誇りとなっていたのかもしれません。

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